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 ←愛入りチョコレイト事件 by江沢 稽 
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ミニ競作1

チョコレートなんか欲しくない(改稿版) by橘 音夢

 ←愛入りチョコレイト事件 by江沢 稽 
『バレンタインデーにチョコレートを学校に持ってきた者は地獄に落ちる』

 それは僕の通っている綾花市立綾花中学に伝わる噂だ。ちなみに我が中学は別名、「妖(あやかし)中学」と呼ばれている。実際、我が校には「学園七不思議」が存在する。正確には学校七不思議だけど、学園って言ったほうがちょっとかっこいい。その中の一つがこの噂なんだ。
 もう十年も前の話だが、その頃、学校ではバレンタインデーに学校にチョコを持ってくることが禁止されていた。それは形だけの話で大抵の女の子はチョコを持ってきていたらしい。その事件が起こるまでは。
 その当時、在学していた三年の女子が、バレンタインデーの日に行方不明になった。朝、普通に登校し、放課後、一人で教室に残っているところは目撃されている。そして、彼女の意中の男子生徒の席には血のように赤いリボンのかかった黒いチョコレートの箱が残されていたという。これは単なる噂ではない。当時はニュースにまでなったのだが、下校途中の目撃者もなく、そのまま時と共に事件は風化してしまった。彼女の名は栗原恭子。大人しくて目立たない生徒だったらしい。
 男子生徒は当初、疑いの目を向けられていた。だが、彼は放課後、塾に直行していたし、その後帰宅してからはずっと家にいたという。彼の名前は公表されなかったし、何処で何をしているかも判らない。僕が気になるのは彼がもらったチョコレートをその後、どうしたかということだ。もし、僕だったら……どうするだろうか。
とにかく、それからこの噂が誕生したというわけだ。何でも、何処かでひっそりと殺された恭子の霊が嫉妬するのだそうだ。というわけで、今まで、あえてこのタブーを犯そうとしたものはいない。我が校においてチョコの受け渡しは学校の外で行われている。
  
「ねえ、犬宮。チョコいらない?」
 バレンタインデーの昼休み、いきなり僕のいる部室に飛び込んできたのは猫野里緒、三年生。僕のクラスメイトだ。柔らかそうな栗色の長い髪を高い位置でツインテールに結んだ彼女は、文字通り猫みたいに大きくて済んだ瞳の持ち主だ。特に美少女ってわけじゃないけど、見た目は可愛い。胸元に結んだ水色のリボンもよく似合うし、と、僕は思う。まあ、口をきかなければ尚更だが。
 彼女はこの学校で一番暇な部活動である『七不思議クラブ』の部長なのだ。といっても、部員は僕一人。活動は主に七不思議の科学的解明、心霊写真の鑑定など様々。去年の夏休みにはこっそり学校に忍び込んで、裏にある旧校舎に出没するというトイレの花子さんを目撃しようとしたが、鍵が掛っていて入ることができず、結果的に身体中を蚊に刺されただけで終わった。
「チョコ? ああ、いや、もらってやってもいいけどさ。ってか、クラス中の女子が僕宛にチョコを贈ってくれたらしいんだよ。だから、今日家へ帰れば部屋中チョコだらけってわけさ。はっはっは」
「何よ、その見え見えの嘘は」
「嘘じゃねえよ」
「じゃあ、妄想か」
「そう、妄想。もてない男の儚い夢。って違うわっ」
「ふ~ん。それじゃ、後で犬宮んちへ見に行くよ?」
「い、いや……それは」
「はいはい。見栄を張るのはいい加減にしてこれで我慢しなさい」
 腰に手を当て、偉そうに上から目線で里緒が差し出したのは何と真っ赤なリボンが掛った黒い箱だった。その色の組み合わせのくどさが意外だった。パステルカラーが大好きな里緒の趣味ではない気もする。いやいや、問題はそういうことじゃない。
「ちょ、待てよ。これって」
「言っとくけど、義理ですからね、義理!」
 二回も言うことはないだろう。
「そうじゃなくって、お前、これ持ってきたのかよ?」
「あら、気が付いた? まあ、とにかく受け取りなさい。それともいらないの?」
「いや……そこまで言うならもらっとくけどさ」
 自慢じゃないが、僕はもてない。そこそこイケメンだとは思うのだが、オカルト大好きなところがどうも敬遠されているんじゃないかと思う。だから例え、義理であってもチョコは欲しい。ましてや彼女がタブーを冒してまで僕の為に持ってきてくれたチョコなんだ。
 だが僕が手を差し出すと、里緒はさっと手を引っ込めた。
「ばーか。これはそういうことじゃないのよ」
「じゃあ、どういうことだよ」
 僕の差し出した手は馬鹿みたいに宙に浮いている。
 しかしながら里緒の目は笑ってはいなった。僕の顔をじっと見て、ふっと表情を曇らせた。
「里緒……お前、何を考えてるんだよ」
「え? ああ、そうそう。例の七不思議の検証よ。あたしがこれから今日を無事に過ごせるかどうか。もし何かあったら噂は本当だってことでしょ」
「何でわざわざそんなことを」
「ただの好奇心よ。実際、何もあるわけないとあたしは思ってるし、そうなれば、チョコレート解禁になるじゃない!」
 まあ、世の中の不思議なことを研究するのがこのクラブの目的ではあるのだが。
「で……これからどうすんだよ」
「秘密」
 里緒は突然、ぎゅっとチョコの箱を握りしめた。その手が微かに震えていることに僕は気が付いた。
「ねえ、犬宮。今日、一緒に帰ってくれないかな。詳しいことはその時に話すから」
「今じゃ駄目なのか?」
「うん。ああ、それから」
 彼女はブレザーのポケットに手を突っ込んで銀色の紙に包まれた小さな箱を取り出すと僕に差し出した。
「これ、預かってて。でも絶対開けちゃだめだよ」
 そう言った瞬間に里緒の顔が困ったような、諦めたような、とにかく今まで見せたことのない表情を形作ったことに僕は戸惑った。箱を受け取り、何を言おうかと考えているうちに彼女は僕の顔からふっと眼を逸らし、逃げるように部室を出て行った。

 その時、僕は無理やりにでも彼女を止めるべきだったんだ。考えてみればその前から彼女はおかしかった。三日前、里緒は体育の授業で転び、少し足首を痛めて保健室に行った。その日を境に俺が何か言っても上の空で聞いていないことが多くなった。それなのに僕は何もしなかった。いや、何かをしなければならないことに気付いてさえいなかったんだ。

 午後の授業が始まっても彼女は教室に戻ってこなかった。カバンは机の横に掛ったままだった。
 胸騒ぎがした。里緒は授業をさぼるような奴じゃない。五時間目が終わると、担任の中年独身教師である久保先生は僕に小声で訊ねてきた。
「犬宮。猫野のことだが、何処へ行ったか心当たりはないか?」
「さあ……。昼休みに部室で会ったんですけど、途中で出て行ってしまってその後のことは判らないんです」
 チョコのことは一応、校則違反なので黙っておいた。
 六時間目が終わっても里緒は姿を見せなかった。生徒のほとんどが帰宅してからも、僕は彼女のことが気がかりで席を立つ気にはなれない。久保先生は携帯で里緒の家に連絡を入れ、彼女が帰っていないことを知ると、慌てたように教室を出て行った。僕は窓を開け、鉄棒や桜の木が長い影を落としている校庭を見下ろした。里緒は何処に行ってしまったのだろうか。
 
 翌朝、里緒は校舎のすぐ脇で倒れているところを早朝練習に来た野球部員に発見された。彼女は意識不明の重体で病院の集中治療室で生死の境を彷徨っている。

 その日は臨時の朝礼があった。里緒の事件の報告とそして前日の昼休みから彼女を見かけた人は報告してほしいとのお願いがあった。授業中、様々な質問が久保先生に発せられたが、今は何も判らないというのが、四十半ばの教師の答えだった。先生は、あの後すぐに里緒の家に向かい、帰宅を待ったが、数時間たっても帰らなかったために母親が警察に連絡したという。僕は放課後、すぐに彼女の運ばれた病院へ行ってみたが、当然のことながら面会謝絶だった。

「君、犬宮竜也くんだよね?」
 待合室でぼうっと座っていた僕に声を掛けてきたのはグレーのパンツスーツを着た二十代後半くらいの女性だった。意志の強そうなきりっとした眉毛にアーモンド・アイ。天然パーマの茶色の髪を後ろで結んだ美人だけれど、その眼差しの鋭さが彼女が一般人ではないことを無言で知らせている。
「ええ、そうですけど」
「よかった。ちょっと聞きたいことがあってね。学校じゃまずいかもしれないから、ちょっと後をつけさせてもらったんだ」
「あの、あなたは?」
「あ、失礼。私は警視庁の桜ケ丘というものだ。よろしく」
 そう言って、彼女は警察手帳を見せた。
「君、猫野さんと同じクラブだよね? 昨日、彼女は部室に行ったのかい?」
「ええ、来ました」
 僕は昨日、起こった出来事を全て彼女に話した。もちろん、銀色の箱のことは内緒だ。彼女は黙って僕の話を聞いていたが、僕が話し終わるとふっと眉を顰めた。
「チョコの箱か。変だな。彼女は何も持っていなかった」
 彼女はスーツのポケットから携帯を取り出した。
「……ああ。大野か? 校内に紙の箱がないかどうか、徹底的に調べさせてくれ。……いや。原形をとどめてはいないかもしれない。黒い包装紙に赤いリボン、大きさは二十センチ四方。そう、ゴミ箱もだ。……ああ。もうない可能性のほうが高いが一応な」
 電話を切り、ふっと溜息をつく。
「あの……ひょっとして里緒は昼休みに誰かと会ってたってことでしょうか。で、その人物が今度の事件に関わっているんでしょうか」
 桜ケ丘さんは僕のほうを見て頷いた。
「まあ、そういうことになるかな。でも、ここから先は我々の仕事だ。それじゃ。話を聞かせてくれてありがとう」
「待ってください。ひとつだけ聞かせてもらえませんか?」
「ああ。まあ、答えられることならね」
「里緒は……彼女は自殺しようとしたんじゃないですよね?」
 桜ケ丘さんはしばらくの間、僕の顔を見つめていたが、やがて何も言わず、こくりと頷いてみせた。
「彼女の怪我は飛び降りて出来たものじゃない。これでいいかな?」
「ええ。ありがとうございました、刑事さん」
 

 桜ケ丘さんと別れ、僕は暗くなり始めた住宅街の道を暗い気持ちを抱えたまま歩いていた。彼女は自殺しようとしたんじゃない。誰かに殺されそうになったのだ。それなのに僕にはどうすることも出来ないのだろうか。テレビに出てくる少年探偵なら、いくらでも情報を手に入れられる。でも、あれは所詮、作り話だ。普通の中学生に出来ることなんて何もない。悔しかった。どうしようもなく悔しかった。

 翌朝、空は見事なほどに晴れ渡っていた。久保先生は一人の転校生を連れて教室に入ってきた。紺色のセーラー服に水色のリボン。前髪をたらし、水色のカチューシャをつけた長い黒髪の清楚な美少女。たちまち教室の中がざわめいた。
「今日からクラスの仲間になる麗上さんだ。お父さんの仕事の関係で急遽転校してきたそうだ。それじゃ自己紹介してもらえるかな?」
 彼女は頷き、白墨を掴むと黒板に大きく自分の名を書いた。麗上絵留。
「れいがみ・える、です。よろしくお願いします」
 姓と名前の間にたっぷり一秒の間をおいての自己紹介。ああ、なるほどね。続けて読んだら霊媒師みたいな名前だもんな。
「ええっと……後で机を持ってきておくから、とりあえず犬宮の隣に座っていてくれ。」
 止めてくれよ。ここは里緒の席だ。僕は抗議しようと立ち上がりかけたが、麗上はまっすぐに里緒の席に近付いてくるとさっさと座ってしまった。その瞬間、何だか里緒が物凄く遠くに行ってしまったような気がした。昨日までここに座ってにやにやしていたのに。畜生。一体、誰が彼女にこんなことをしたんだ。
 
 昼休みになり、教室にいるのが辛くて校舎の屋上に登って行った。ドアを開けてみると既に先客がいた。麗上だ。
 僕は黙ってフェンスの傍まで行って外を眺めた。
「彼女を助けたい?」
「え?」
 俺は振り返って彼女を見た。この女、何を言っているんだ?
「猫野さんよ。今、意識不明だって聞いたのだけど」
「助けたいにきまってるだろう。クラスメイトなんだから。でも、どうにもならないじゃないか」
「そうね。でも、誰がやったか確かめることは出来るわよ」
 ……なんだって?
「おい、冗談でそんなこと言ってるんだったら本気で怒るぞ」
 麗上はふっと謎めいた微笑を浮かべた。
「冗談で言ってるわけじゃないわ。私は別の目的でこの学校に来たんだけど、たまたま事件に遭遇したの。だからもしあなたが協力してくれるなら、私は力を貸すわ。どうする?」
 彼女の言葉は力強く、真剣だった。でも所詮は中学生だし、やれることは限られるだろう。でも……何もやらないよりはよっぽどましだ。
「判った。で、僕は何をすればいいんだ?」
「そうね。とりあえず話を聞かせて」
 麗上のさらりとしたロングヘアが風を受けてふわりと揺れる。改めて見ると本当に綺麗な子だ。だが、その瞳の色は闇を吸いこんだように黒く、ちょっと怖い気もする。


 僕は彼女に一昨日のことを(銀色の箱のことは伏せて)全て話して聞かせた。
「なるほど。……これは多分、十年前の事件と関連してるわね」
「っていうことは、恭子さんの呪い、とか?」
 麗上は目を瞑り、何事かを呟いた。たちまち、彼女の周囲だけに旋風が巻き起こり、スカートをはためかせた。
「……違うと思う。この学校で十年前の事件を実際に知ってる先生はいるかしら」
「ええっと、それなら理科の矢川先生かな。いつも理科室にいるんだけど」
「それじゃ、今日の放課後、一緒に理科室に来て」
「判った。行くよ」
 彼女が歩き去っていくのを僕はしばらく眺めていた。その時、何かはっきりしない影のようなものが彼女の周囲に纏わりつくのが見えたような気がしたが、たぶん何かの見間違いだろうと思った。


 放課後の理科室。矢川先生は無精髭を生やした少しワイルドな感じのイケメンだ。いつも何やら得体の知れない染みのついた白衣を着ているが、女生徒にはかなりの人気がある。彼は古ぼけた机に向かっていたが、僕達が入っていくときりきりと耳障りな音を立てる回転椅子を回しながら、こちらに身体を向けた。
「いやあ。こんな時間にお客さんとは珍しいね。そうだ。俺が作った特製炭酸ジュース、飲んでみるか?」
 僕達の目の前に差し出されたのは変な緑色をしたジュースで、しかもフラスコに入って泡をたてている。こんなのを飲んだら過去にタイムスリップしてしまいそうだ。いや、少なくとも腹が痛くなることだけは確かだ。
「遠慮しときます」
「矢川先生。さっそくですけれど、十年前のこと、詳しく話していただけますか?」
 単刀直入に麗上が切り出した。
「十年前って、あの行方不明事件の件か。いいけど、君達は何を調べてるの?」
「私達、『七不思議クラブ』の部員なんです。バレンタインデーの呪いの件で知りたいことがあって」
「ああ、なるほど。あれは不思議な事件だったよ」
 矢川先生は私達に折りたたみ椅子を持ってくるとさっそく話し始めた。その話に特別目新しい事実はなかった。
「先生。私達が知りたいのはチョコレートをもらった生徒の名前なんです」
「それは教えられないな。申し訳ないけれど」
 麗上はふっと冷ややかな笑みを漏らした。
「教えてくれなきゃ、奥さんにバラしますよ。音楽の名取先生とのこと」
 がしゃん、とフラスコが床に落ちた。緑色の液体がみるみるうちに床に広がっていく。
「……お前、どうして知ってるんだ!」
 矢川先生の顔色が変わった。名取先生って……ひょっとして浮気ってことか?
「判るんですよ。音楽室で何をやっていたかも知ってます」
 立ち上がりかけた矢川先生が諦めたように腰を戻した。
「仕方ないな……実はあのチョコレートはあの生徒に渡されたものじゃないんだよ」
「ええっ? じゃあ、誰に渡されたものなんですか?」
 僕は思わず声を上げてしまった。
「当時の保健室の先生。渡辺先生だ。彼女はあの日の放課後、栗原から熱烈な愛の告白を受けたらしい。チョコレートを受け取ることは受け取ったが、残念ながら女の子に興味はないと言ってしまった。栗原はかなりショックを受けた様子で帰ったそうだ。その後、先生は無人の教室に入ってまったく関係のない男子生徒の机の中にもらったチョコレートを置いてきた。自分でも動揺していたので何でそんなことをしたのか判らないと言っていたよ。栗原は彼女の拒絶が原因で家出してしまったのかもしれないな。まあ、とにかくそれは事件が起きてからだいぶ後に俺が渡辺先生から直接聞いたことだ。俺は誰にも言わなかったが、彼女は責任を感じたのか、辞職してしまったんだ。その後のことは判らない」
 なるほどね。たぶん、この先生は渡辺先生とも関係があったんだろう。
「教えてくださってありがとうございます、先生。それからその日前後に何か変わったことはなかったですか?」
「……そういえばあの日に人体標本が盗まれちゃってね。栗原の事件で陰に隠れちゃったんだけど、翌日、学校の裏でメチャメチャに壊された状態で見つかったんだ。教室に鍵を掛けておかなかったから、後で校長にさんざっぱら文句を言われたけどね」
 麗上は突然立ち上がって、理科室を見回した。
「それは何処に置かれていたんですか?」
「そこだよ。その隅」
 そう言いながら、矢川先生は今はガラスの棚が置かれている教室の隅を指差した。
「模型の入っていたケースはどうしたんですか?」
「ああ、何だかガラスが割られていてね。使い物にならないんで、その日のうちに旧校舎の地下にある倉庫に運んでおいたよ」
 旧校舎。それは現在の校舎の裏手にある。何度も取り壊しの話があったのだが、その度に工事関係者に怪我人が出たので今もそのままの状態で残されている。
「そうですか。ありがとう、矢川先生」
「ああ……いや。あの……」
「大丈夫です。浮気のことなら誰にも言いませんよ。先生。君もね、犬崎くん」
「え? ああ、もちろん」

 麗上は理科室を出ると、足早に廊下を歩きだした。まるで、入学当初からこの学校の生徒だったかのような迷いのない足取りだ。
「なあ、麗上さん。なんで浮気のこと知ってたんだよ。誰かに聞いたのか?」
 彼女はちらりと僕を見るとふっと笑みを浮かべた。
「ええ、そうよ。彼女、浮気場面をしっかり見てたんですって」
「彼女? 誰のことだよ」
「それは秘密」
「まあ、いいや。それにしても信じらんねえな。覗きでもやってたのかよ」
「まあ……見たくもないのに見ちゃったみたいね。彼女、ここに住んでるから」
「え? それってどういう」
「黙って。保健室に入るわよ」
 いつの間にか、俺達は保健室の前に立っていた。

「で、今日はどうしたのかしら。何処か具合でも?」
 養護教諭の野々村先生は、優しくて穏やかだがシミ一つない白衣を着てセミロングの髪を後ろで束ね、眼鏡を掛けているせいか少々神経質そうに見える。彼女は去年の四月に我が校へ転任してきたばかりだ。
「あ、そうじゃないんです、先生。実は猫野さんの事件のことでお伺いしたいことがあって来たんです。確かバレンタインデーの三日前に猫野さんがこの部屋に来ていると聞いたんですが、その時、何か変わったことはありませんでしたか?」
 野々村先生は少し眉間にしわを寄せて麗上を見た。
「あなた、制服が違うわね。ほかの学校の生徒さん?」
「いいえ。彼女、今日転校してきたばかりなんです」
「そうなの。で、なんでまた探偵みたいな真似を?」
「いえ。僕が調べたいと思ったんです。彼女は付き合ってくれてるだけで」
「そう。素敵な助手さんね」
 野々村先生の視線が麗上の足の先から首のあたりまでゆっくりと動いた。
「先生。私の質問に答えていただけますか?」
「え? ああ。猫野さんね。足首を少し捻ったのね。捻挫っていうほど酷くもなかったから湿布だけして帰したんだけど、う~ん、特に変わったことはなかったわね」
「途中で部屋を出られましたか?」
「え? そういえば職員室から呼び出しがあったんで、部屋を離れたわ。十分ぐらいだったかしら。帰ってみたらもう猫野さんはいなかったわ」
「そうですか」
 麗上は黙って部屋中を見回していたが、いきなり立ち上がると部屋の隅にあるカーテンを開け放った。そこにはベッドが置いてある。
「ねえ、麗上さん!」
 戸惑ったような先生の声が聞こえなかったかのように、麗上はその場でしゃがみこみ、ベッドの下に手を突っ込んだ。
「ああ、あったあった」
 ゆっくりと立ち上がった彼女の手には水色のハンカチが握られている。
「これよね? 猫野さんがなくしたって言ってたハンカチ」
 麗上はそう言いながら、僕の顔をじっと見詰めてきた。否定したら承知しないわよ、という怖い顔で。
「え? ああ、そうそう。このハンカチだよ」
 いや、もうどうしてもこう言わなければいけない状況だ。
「そう。見つかってよかったわね」
 先生は何だか複雑な顔でハンカチを見詰めている。その様子を見て、麗上はふっと薄い笑みを浮かべた。
「ええ。それじゃあ、失礼します、先生」

 麗上は保健室を出ると、摘まんだハンカチを胸ポケットから出したビニール袋に入れて再びポケットに押し込んだ。
「それ、君のハンカチだろ? いったい何のつもりだよ」
「今に判るわ。犬崎くん。それより、今から旧校舎に行ってみましょう。きっと面白いものが見つかるわよ」
 麗上の声が廊下に響き渡る。もう校内には生徒が残っていないのだろう。いや、でも旧校舎に無断で立ち入ることは禁止されているはずだ。
「そんなことしていいのかよ? 麗上さん」
 麗上は僕の顔をきっと見据えて言い放った。
「猫野さんを助けたいんでしょう? だったら黙って従いなさい」

 麗上は職員室に立ち寄り、平然とした顔で戻ってきた。
「懐中電灯を借りてきたわ」
「凄いな。どうやって借りたんだよ」
「帰り道が暗くて怖いって言ったら一発よ。まったく教師って単純よね」
 彼女がどんな様子で先生に訴えたのかは聞かないでおくことにした。
 僕達は校舎を出ると、そのまま裏の旧校舎に向かった。すでに外は薄暗くなっていた。何の照明もない旧校舎は近付いていくことさえ怖い。窓という窓からこの世のものでないものが顔を覗かせているような気がする。まったく、何のホラーゲームだよ、これ。
正面玄関のいる入り口の前に立ち、僕は扉を引いてみたが、やはり鍵が掛っている。
「ほら、鍵閉まってるし、入れないよ」
「鍵? ああ、そこをどいて」
 麗上がドアノブに手を触れて何事か呟くと、かちゃり、と軽い音がした。
「さあ、これで入れるわ」
 あっけにとられている僕を置いてきぼりにして、麗上はさっさと中へ入っていく。
「……なあ。今のなんだよ。あんた、エスパーか何かか?」
 麗上は何も答えず、薄暗い廊下をためらう様子もなく進んでいく。しんと静まり返った校内は人気のないお化け屋敷のようで、僕はびくびくしながら彼女の後をついていった。
「ここよね。地下室への入り口は」
 廊下の突き当たりの左側にある古ぼけた両開きのドアには南京錠が掛けられている。彼女はこの錠も手を触れることなく開けてしまった。にしても、どうして入ったこともない建物の部屋の配置が判るんだ?
 再び彼女の手によって扉が開かれると、そこには地下室へと伸びる木の階段があった。懐中電灯で足元を照らしながら階段を下りると、そこは二十畳ほどの大きな倉庫になっていて、埃をかぶった段ボールがいくつも置かれている。部屋の奥、他の段ボールで隠すように白い布で覆われたかなり大きな長方形の箱が置かれていた。これが壊されたという人体模型のケースだろうか。
「その布、どけてみて」
「どうしてだよ。ここに何かあるのか?」
 僕は布に手を掛けて一気に上に持ち上げた。舞い上がった埃が懐中電灯の光の中を雪のように舞う。少し咳込みながら箱を見下ろした僕は心臓が止まりそうになった。
 木の枠にガラスを嵌め込んだその箱の中には白骨化した人の身体が横たわっていた。我が校の制服を着たその遺体は……。
「これ……もしかして、十年前に行方不明になった」
「そう。その通り。それは栗原恭子よ」
 その声は僕たちの真後ろから聞こえてきた。麗上が素早く振り返り、懐中電灯を向けるとその光の輪の中にゆっくりと入ってきたのは野々村先生だった。いつの間にか僕たちの後をつけてきていたようだ。彼女は階段の途中で立ち止まると手に持った赤いプラスチックの灯油の容器をゆっくりと傾けた。床に強烈な匂いを放つ液体が大量に零れ落ちていく。

「可哀想だけどここでお別れね。さようなら、犬崎君、麗上さん」
 野々村先生は手に持った新聞紙に火をつけて床に投げた。たちまち、目の前の床は火の海になった。僕達は逃げようとしたが、強く燃え上がった熱い炎が行く手を阻む。もしかして、僕達はここで焼け死んでしまうのだろうか。恐怖で体が動かない。既に野々村先生の姿は消えていた。
「大丈夫よ。犬崎くん、落ち着いて」
 ケースの横にいた僕に近付いてくると、彼女はその場で膝をつき、懐中電灯を天井に光が向くように縦に持ちと、そのまま、とん、と床を叩いた。
 たちまち懐中電灯の当たったところから青く光る線が四方に伸び、僕とケースを中に入れる形で床の上に大きな円形の模様を描き出した。
 炎はますます大きくなっているが、さっきまで感じていた息苦しさと熱さは瞬時に消え去っていた。その直後、ふっと体が浮き上がったような気がした。
 気が付くと僕達は校舎の外にいた。玄関の扉が開き、野々村先生が出てきたが、僕達の姿を見た途端に顔を強張らせた。
「あんた達……どうして?」
「どうして? そんなこと僕にも判りません。単刀直入にお伺いしますが、猫野を襲ったのはあなたですか? 野々村先生」




「さあ、どうかしら。いずれにしても証拠なんてないわ」
「僕達を殺そうとしておいて、よく言いますね、先生」
「私は何にもしてないわ。あなた達が勝手に旧校舎に入り込んで、地下室に火をつけたのよ。私は炎が出ているのに気が付いてここにきただけ。あなた達の言うことなんて誰が信じるものですか。第一、そんなことをする理由がないわ」
「ねえ、先生。そんな言い訳、通用しませんよ」
 麗上は胸のポケットからビニール袋を取り出して見せた。
「先ほど職員室で聞いてきたんですけど、保健室の掃除があったのが三日前。バレンタインデーの前日です。ベッドの下も掃除機を掛けるそうです。このハンカチはその後に落ちたものってことですよね? 先生。ということは猫野さんは保健室に来ていたってことになります」 
「何だかずいぶん探偵気取りだけど、そんなもの証拠にはならないわよ。私が帰った後に誰かが彼女を隠したのかもしれないじゃない。とにかく消防署に連絡しなくちゃね? お二人さん」
 平然と笑みを浮かべて、野々村先生が白衣のポケットから携帯を取り出したその時だ。

「そうですか……これで告白していただければ止めておこうかと思ったんですけど、さすがですね、先生。ベッドの下はとっくに点検済みだったんですね」
「さあ、何を言ってるのかさっぱり判らないわ」
「仕方がありませんね」
 麗上が右手を高く上げる。すると野々村先生の頭の上から黒い紙がひらひらと舞い降りてきた。
「何よこれ」
 先生の足元に落ちたのは里緒が持っていたチョコレートの包装紙だった。ふん、と馬鹿にしたように鼻を鳴らして先生が携帯を耳に当てた瞬間、黒い紙が先生の足元を囲むように大きく広がったと思うと、粘り気のある物体に変化した。甘ったるい匂いが漂ってくる。チョコレートだ。先生の足がチョコの泥の中にずるりと引き摺り込まれた。悲鳴を上げ、足を持ち上げようとするが、まるで底なし沼に落ちてしまったかのように彼女の身体はどんどんチョコの中に埋まっていく。
 麗上は唇の端に冷酷な笑みを浮かべ、それを眺めている。
「おい、もう止めろよ! 麗上さん!」
 先生の身体は既に肩と頭だけしか地上に出ていない。先生は狂ったように喚き続けている。すると僕の後方でがしゃり、と音がした。野々村先生が僕の背後を凝視して大きく目を見張った。僕は恐る恐る振り向いた。ケースの扉は開いていた。そして青く光る制服を着た少女がケースの上に浮かんでいた。その眼窩は骸骨のように虚ろな空洞。少女は宙を滑る様に野々村先生に近付いていくと青白い両手をその首に絡みつける。指が閉まり、先生の顔色が変わり始めると麗上が静かに呟いた。
「ねえ、先生。そろそろ本当のことを言ってください。このままこの世から消えたくはないでしょう?」
 野々村先生は麗上を見つめながら苦しそうに喘いだ。麗上はセーラー服のポケットからデジカメを取り出し、先生のほうへレンズを向ける。
「もういいわ。ありがとう」
 シャッター音と共に少女の姿がレンズに吸い込まれて消えた。と同時にチョコの沼が先生の身体を吐き出し、何事もなかったかのように消えてしまった。
 地面に座り込み、体を震わせている先生に麗上は近付いて行き、耳元で囁いた。
「話してくださいますね? 先生」

 背後の校舎から煙が上がり始めた。火が一階に回ってきたらしい。
 僕は先生から携帯を借りて119番に連絡した。
 
 野々村先生はしばらく首を押さえて黙りこんでいたが、やがて諦めたように深く溜息をついた。
「あれは……栗原恭子なの?」
「そうよ。あなたが本当のことを言わなければ、ずっとあなたに取り憑くわ」
 
「あの子は……猫野さんは彼女の罪の証拠を掴んだって言ってたのよ。私は何のことか判らなかったんだけど」
「罪、というのは十年前の?」
「そう」
「彼女ってその当時の養護教諭の渡辺先生のことですね」
「ええ。私は彼女……輝美とは大学時代から恋人同士でね、一緒に暮らしていたのよ。私はとっても幸せだった。でも十年前の二月、私は彼女からこう言われたの。生徒の一人に恋をしてしまって、バレンタインデーの日に告白するからって。ショックだった。でも、彼女の気持ちは真剣だったし、それなら仕方ないと思った」
「あの日の放課後、彼女から電話が来たの。生徒を殺してしまったって。急いで学校に行ったわ。保健室に入ってみたら、床に栗原恭子が倒れていたの。輝美はその日、恭子を呼び出してチョコを渡そうとした。真剣に愛しているから付き合ってほしいって。でも、恭子はノーマルだった。輝美を罵って、他の先生にこのことをバラしてやるって言われて、気が付いた時には絞殺していたって、彼女は言っていた。とりあえず、ベッドの下に死体を隠して、夜まで待ったわ。輝美に職員室から旧校舎と地下室のドアの鍵を持ってこさせ、私はチョコレートを適当な男子生徒の机の中に置いてきた。その後、私達は彼女の死体を地下室に運びこみ、次は理科室に行って人体標本を持ちだし、壊して外に捨ててきた。ケースも二度と使えないようにガラスを割ったの。予想通り、翌日、理科の矢川先生は地下室に使えなくなったケースを運びこんできた。私達は死体を中に入れて布を掛け、地下室の奥に運んだの。普段は誰も来ないから、見つかる心配もなかった。でも、輝美は耐えられなかった。好きになった生徒を殺したっていう罪の意識で、学校を辞めてしばらくしてから家出してしまったの。翌日、彼女が電車に飛び込んで亡くなったという知らせが届いた。……だから悪いのは栗原なのよ。あの子さえいなければ、私たちはずっと平和に暮らしていくことが出来たのよ」
「なるほど。そういうことだったのか」
 聞き覚えのある声に振り向くと刑事の桜ケ丘さんが立っていた。遠くから消防車のサイレンが聞こえてくる。旧校舎は窓から大量の煙と炎を上げ始めていた。
「聞かせてもらったよ。しかし、いったい何があってこんなことになったんだい?」
 桜ケ丘さんは腰に両手をあて、首を傾げて僕を見た。
「ええ。それは後から説明しますよ。あの、先生。どうしてあなたは猫野を殺そうとしたんですか?」
「あの子はチョコレートを持って保健室に来たのよ。黒い包装紙に赤いリボン。見たとたんにぞっとしたわ。数日前、あの子は保健室に来た時、私がいない間に机の引き出しを興味本位で開けてみたらしいの。そして何かを見つけ、それを黙って持っていった。あの子はこう言ったのよ。あれは姉さんのだ。十年前のことで何か知っているのなら答えてほしいって」
「ええ? それって栗原恭子が猫野の」
「さあね。とにかく、私はあの子が何を持っていったのか見当もつかなかった。あの時のもの、それも証拠になるものなんて引き出しに入ってるわけがないでしょう? でも、あの子は本当のことを言わなければ、それを持って警察に行くって言ったの。何を持っていったのか聞いても答えようとしなかった。とにかく、何らかの方法でこの子は過去のことを嗅ぎつけたんだと思った。もし警察が動き出して旧校舎が調べられたら輝美の過去が暴かれてしまうし、私も逮捕されてしまうかもしれない。で、その時、私は確信したのよ。私が偶然、輝美と同じこの学校に赴任したのは、そうなることを阻止する為だということにね。……気が付いた時にはあの子の首を絞めていたわ。……でも運が悪かったわ。絶対死んだと思っていたのに。まあ、もう意識を取り戻すことはないでしょうけどね」
 先生はそう言いながら、僕を見て勝ち誇ったような笑みを浮かべた。思わず拳を固め、先生に殴りかかろうとした僕の前に桜ケ丘さんが立ち塞がった。

「落ち着いて、犬崎くん。こいつを殴ったところで意味はないよ。さあ、もうそのくらいでいいだろう、先生。詳しい話は署で聞かせてもらおうか。ああ、それと君達も……あれ? あの女の子は何処へ行った?」
 いつの間にか、麗上の姿が消え失せていた。

 結局、僕は警察で事情を聞かれ、全てをありのままに話したが、桜ケ丘さんは何とも困った顔で僕の話を聞いていた。まあ、チョコの沼とか亡霊が首を絞めたなんて話、信じろと言うほうが無理だろうが。
「たぶん、麗上さんは集団催眠が使えるんだろう。君も野々村先生も暗示を掛けられていたんだよ」
 桜ケ丘さんはそう言っていたけれど、あれは幻覚なんかじゃなかった。

 翌日、野々村先生が逮捕され、栗原の遺体が出たことは大きなニュースになった。麗上は学校に来なかった。また急に引っ越すことになったのだそうだ。僕の名前は未成年が幸いして、世間に知れることはなかったが、いったい誰が野々村先生の犯行を暴いたのかの話題は、しばらくの間、校内を賑わせることになった。

 僕は放課後、一人で学校に残った。日が傾き始めて、オレンジ色に染まった空を眺めているうちに何となく、昨日のことが夢のように思えてきた。麗上なんて子は本当にいたんだろうか。
「いたわよ」
 教室の入り口から響いてきた声に驚いて振り向くと、そこに麗上が立っていた。
「昨日はごめんなさい。私、面倒くさいことが嫌いなもので」
 彼女はつかつかと教室の中に入ってくると、机の上に腰を掛けてにこり、と笑った。
「……もうそのことはいいよ。それより教えてくれよ。昨日、野々村先生の首を絞めたのは何なんだ」
「あれは栗原さんの霊だったものよ」
「だったって、今は違うのか?」
「彼女の霊はこの学校に囚われてしまったの。いわゆる花子さんになったのよ。この学校にもあるんでしょ? 花子さんの話」
「ああ、あるよ」
 七不思議の一つ、『旧校舎の花子さん』だ。
「私は彼女を解放するためにこの学校に来たのよ。それが過去の事件の解決に繋がることになるなんて夢にも思わなかったけれどね」
「じゃあ、彼女はもう自由なのか」
「今から解放するのよ。彼女は花子さんの役目を終えて栗原さんに戻るの。見たかったら一緒に校庭にいらっしゃい」

 校庭に出ると、麗上は目を瞑り、呪文を唱えた。たちまち青白く輝く陣が彼女の周りに出現する。昨日、写真を撮ったデジカメを持った両腕を高く上げると、カメラのレンズから淡い光の玉が浮き上がり、ゆっくりと空に向かって上昇していった。

「驚いたな。カメラじゃないと解放できないのか?」
「まあね。解放するにはいったんカメラに収めないと無理なの。写真を撮ることによって学校との繋がりを完全に断ち切るのよ」
「麗上さん、君はいったい何者なんだ? いつもこんなことをやってるのか?」
 麗上は僕の顔を見て、柔らかく微笑んだ。
「ご想像にお任せするわ。それじゃ」
 彼女は僕に背を向け、校門に向かって歩きだした。
「あ、待てよ!」
 もっと話を聞きたいと思い、声を上げたその時、一陣の風と共に校庭の砂が舞い上がり、前が見えなくなった。視界が開けた時、そこに彼女の姿はなかった。

 翌日、里緒の意識が戻ったとの知らせが学校に届いた。その後も彼女は奇跡的な回復を見せ、一週間後には退院となった。

「お前、めちゃくちゃ丈夫だよな。ほんとに人間か?」
「失礼ね。そんなこと言ってるといつになったってチョコレートもらえないわよ」
「余計な御世話だよ。ああ、そういえばお前が先生に持ってったチョコの噂知ってるか?」
「うん。先生のカバンの中にしっかり入ってたらしいわ。先生はとっくに捨てたはずなのに。変な話よね。あ、それより、早く箱を返して。まったくせっかく預けたのにすっかり忘れちゃってるんだから」
 彼女が退院した翌日、里緒は僕の部屋のカーペットの上に座っていた。彼女の前に座った僕は彼女から銀色の箱を預かったことを今日になるまで忘れていた。箱はブレザーのポケットに入れっぱなしだった。
 里緒は箱を開け、何かを取り出した。それはピンクの花柄の布のリボンがついた髪止めだった。
「……髪止め?」
「パッチン止めっていうのよ。これはお姉ちゃんのものなの」
 栗原恭子は彼女の年の離れた姉だった。苗字が違うのは、その後里緒の母親が離婚し、再婚したためだ。
「でも、こんなもの何処にでもあるじゃないか。どうしてお姉さんのだって判ったんだ」
 里緒はパーカーのポケットに手を突っ込んで何かを取り出し、僕に見せた。それは色も形もまったく同じのもう一本の髪止めだった。
「これはね。お姉ちゃんがリボンを作って金具に縫いつけたものなの。だから、これと同じものは何処にもないのよ」
 里緒は二本のパッチン止めを右手に乗せると、ぎゅっと握りしめた。
「十年前のあの日のこと、あたしはまだ五歳だったけれどはっきり覚えてるの。前日の夜、お姉ちゃんは私にこのパッチン止めをくれたのよ。お揃いでつけようねって。バレンタインの日、お姉ちゃんはこれをつけて学校へ行ったの。そして、それきり戻ってこなかった」



「そうか、でもどうして引き出しの中にあったのかな」
「それは判らないわ。ああ、それから誤解しないように言っておくけれど、あの日、野々村先生の引き出しは開いていたのよ。何となく覗いたらこれが見えたの。背筋がぞっとしたわ。あたしはこれを取ってポケットに入れて引き出しを閉めておいた。どうして先生がこれを持っているのか。お姉ちゃんがどうなったのか、ひょっとしたら何か知ってるのかもしれない。だからあたしはわざとお姉ちゃんが持っていたって言われてたものとよく似た包装のチョコを持って保健室に行ったの。箱を見せたとたんに先生の顔色が変わったんで、あたしは正しかったと確信したわ。それから後のことはよく覚えてないんだけど」
「でも変だな。野々村先生は何も入れてなかったって言ってたぜ」
 里緒は立ち上がり、カーテンを開けて外を眺めた。空は雲ひとつなく晴れ渡っている。
「あれはお姉ちゃんが置いたんじゃないかと思ってるの。あたしに真実を知らせるために。それにね、病院で目が覚める直前にお姉ちゃんの夢を見たのよ。お姉ちゃんは本当に嬉しそうに笑っていて、あたしにこう言ったの。里緒ちゃん、起きなさい、朝だよって」
 
 彼女が目を覚ましたのは、麗上が『花子さん』を解放したのとほとんど同じ時間だった。栗原恭子は自分の妹を助けたのだろうか。

「まだ、しばらくはばたばたするけど、あたしが学校に行くまえに今度のことはきちんと記録に残しておきなさいよ、犬宮」
「ええっ! めんどくせえなあ」
「うまくまとめてくれたら、ご褒美にチョコあげるから、ね」
 里緒はそう言って、輝くような笑みを見せた。僕は何故か涙が出てきた。

――ああ……いや、チョコレートなんか欲しくねえよ。お前が元気になってくれれば、それで十分だから――
 
 喉まで出かかった言葉を僕は飲み込んでしまった。やっぱり恥ずかしい。
「おう、美味いチョコ作ってくれよ」
「なんで手作りチョコだって決めつけるのよ」
「いや、それは……」
「とにかく、あたしは犬崎のおかげで助かったんだから。そのことはすっごく感謝してるから、まあ、そういうことで期待して待ってて。まずいとか言ったら承知しないわよ」
「言わねえよ」
 里緒。僕はもうその言葉を聞けただけで十分幸せだよ。
「それにしても、麗上絵留の正体が気になるわねえ。よし、復帰後の仕事始めは彼女について調べましょう」
「ええっ、いいじゃないか。もう謎の美少女ってことで」
「だから気になるんじゃない。あたしより美少女なんて許せないんだから」
 僕は黙って立ち上がり、彼女の横に立って外を眺めた。

――里緒より可愛い子なんていないよ――

 はたして僕がこの言葉を口に出せたかどうか。それは永遠に秘密にしておこうと思う。



■作者からのメッセージ ■
☆遅くなりましたが、ようやく完成致しました。ミステリ風味は薄いです。ホラー風味も薄いです。何だか中途半端な作品ですが、よろしくお願い致します。

<追記>2010.3.16
時系列等に矛盾点があり、本日、改稿させていただきました。皆様、申し訳ありません。
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~ Comment ~

読みました~♪ 

今頃ですが、読ませて頂きました。
確かにタイトル通り、チョコレートをもらうのが怖くなりますね~~。

次から次へと変化する場面展開に、惹きつけられました。
描写もクドくなく、素直なところが直球で迫ってくる感じ。
ドラマ化できそうですね~~

難を言えば、語り手の僕の影がちょっと薄いことかな?
でもその分、読者自身が僕になった気分になれるかも。
面白かったです!
ごちそうさまでした♪

久遠さん、ご感想ありがとうございます! 

レスが一カ月以上も遅くなってしまいました。申し訳ありません。
なんか、ホラーでもミステリでもないかなり出来が微妙な作品なのですが、楽しんでいただけてよかったです。
僕の影、薄いですよね。もっとキャラ作りを勉強しなければと思いました。
ストーリーも最近はどうも展開が平凡になってしまうので、もっと練りこまなければと思っています。

お忙しいのにお読みいただけて感謝しています!
久遠さんの作品が再び読める日を楽しみにしています!
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