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電脳ミステリ作家倶楽部(仮)

 
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ミニ競作1

『聖ヴァレンティヌスの苦笑』 by 塩瀬絆斗

 ←お知らせ →愛入りチョコレイト事件 by江沢 稽


 ライバルの出現は宣言を待たない。猿も犬との間に開戦宣言をしたわけではない。
 ここ県立佐久高校の一年C組の教室も例に漏れず、二人の少女の間に激しい火花が散っていた。この戦場の真っ只中に佇むのは葛城薫(かつらぎかおる)という一人の少年だった。白磁の肌、二重瞼に利発そうな瞳、細い顎ながら厚い唇は芯の通ったところを思わせる。
 昼休みが始まると、あちこちで机が動かされクラスメイト達は思い思い弁当などを広げ始めた。男子グループの一つで弁当をつつく薫に二つの視線が深く突き刺さっていた。まるで暗殺者のように鋭い眼光は篠田優衣(しのだゆい)のものだ。女子バスケ部副キャプテンを務める彼女は成績も上々、さらに探偵小説などを愛読し頭の回転がすこぶる良い。さっぱりとしたショートカットの下でブラウンの瞳がしっかりと薫を捕らえていた。もうひとつ、国家転覆を虎視眈々と狙うレジスタンスのような眼力は遠坂茜(とおさかあかね)が放っていた。遠坂家といえば大資産家である。簡潔にいえば、茜は金持ちの子だった。優衣とは対照的な黒く長い髪はよく手入れされ艶めいていた。
 互いに一歩も譲らないというか、もし一歩でも薫に近づけは黙ってはいないぞという脅しをかけ合う。完全な均衡状態だ。
 二月に入ってから二人の冷戦はますます激化した。なにしろ、日本の二月といえばほとんどの青少年たちの注意を奪い去っていくイベントが待ち構えている。バレンタインデーだ。
 あと二週間、優衣も茜もそこが勝負だと感じていた。

謀略

 正直な話、なぜこんな日があるんだろうと思う。チョコレート会社の陰謀だというのは真実じゃないだろうかとすら思う。バレンタインデーはOLの皆さんには嫌われた因習らしい。ただ、茜には負けたくない。あの“マリー・アントワネット”め。隙を見つけては薫くんに近づこうとするのだ。話かけるときのあのいやらしい猫撫で声。普段は地獄の底に棲む魔獣みたいな声のくせに。こうなると休み時間に気軽にトイレにも行けない。友達と話し込む振りをしながら薫くんの様子を窺う。話を聞きそびれて、最近じゃ天然のレッテルを貼られかけている。ちょっと待ってほしいわ。
“監視”みたいになるのだけれど、嬉しいことに薫くんは見ていて飽きない。難しそうな小説を読んでいたり、男子とバカ騒ぎしていたり、何か考え込んでいたり、先生に質問がてら雑談していたり。背が高くて顔がちっちゃい。誰にでも優しく接してくれる。
 ただ、私が話しかけようものならすかさずマリー・アントワネットがやってくる。彼女もどこかで私を見張っているのだ。家政婦かっつーの! マジ超ウザいんですけど。小うるさい姑並みにウザい。私に姑はいないけどね。「なになに、優衣なに話してるのぉ~?」と白々しく割り込んでくるあの声と態度と感覚が嫌い。ただし、薫くんの前でみっともない女を見せるわけにはいかないので、少なくとも話を合わせなければならない。その苦痛たるや! 殺意ってこういうところに転がってたのね~と思わず納得したくなる。だから、それ以来探偵に追い詰められる哀れな殺人犯たちにいまいち憎しみを感じることができない。あなたたちにもどうしようもない殺意があったのね、と心の中で語りかける私がいるのだ。ただ、私は殺さない。なぜならそこに薫くんがいるから。ああ……、普段薫くんと交わすメールでなにも気にせず愛を語らえたらどれだけいいか。たまに半分寝ながらメールを打つといつの間にか恋人気取りの文章を打ち込んでいることがあって、さすがにそんな時は眠気が吹っ飛んでいく。危ない危ない。我ながらキモいわ。
「あたしが男だったら絶対優衣ちゃんと付き合うんだけどなあ」
 とはバスケ部先輩の果歩さん以下数人の危ない発言だ。なぜだかわからないが、私に言い寄ってくる女の子が学年問わず意外といる。私は男の子にモテたいのに。逆に私が男だったら、彼女たちを好きにできるのか……。いけない、いけない唾が。あ、今週の土曜日は西高と練習試合だ。キャプテンの笹本先輩とメニューの打ち合わせしなきゃ。
「始めるぞ~」
 気がつくと担任の楢山先生が教壇に立っていた。午後イチの授業は数学だった。散らかった室内を見渡すと、ナラさんは声を上げた。
「おいおい、早く綺麗に片付けろぉ。まるで数式のようにな」
 すぐそういうつまらないことを言う。だから稀にただ“おじさん”と呼ばれることがある。おじさんはくだらない事を言いたくて仕方ないらしい。これはお父さんの説。
「くだらねぇ~」という一部からのクレームを無視して、ナラさんは片付けの音があちこちからする間、私にとって重要なことについて口にした。あまりにもタイミングが良すぎてぞっとしてしまったほどだ。
「それからな、来週――再来週か、ほれ、なんやらイベントがあるだろ。最初に言っとくがな、学校に余計なもんは持ってくるなよ~。いいか絶対だぞ、絶対に持ってくるなよ~」
「ナラさん、それってフリ?」
 ギャル美紗子が嬌声を上げる。鼻にかかった声は元からで、頭が弱いと言われるなら我慢するにしても媚びていると言われるのが癪に障ると嘆いていた。
「高木ぃ~、先生が熱湯風呂のへりにしがみついてるように見えるか~? くだらないこと言ってないで、さっさと教科書出せ~。号令」
 学級委員長の姫野さんの号令がかかる。
 茜に勝つにはどうすればいいだろう……。そのことを考えていると、授業の内容なんか一つも入ってこなかった。

 敵を倒すには、まず情報が必要だ。信長も情報の価値を認め、それをうまく使うことで兵力差を覆したのだ。茜は私の敵というところだけど、茜を知っても意味がない。ここは、薫くんの色々なことを知るべきなのだ(いやらしい意味ではない)。でも、薫くんと接するには、どうしても茜の目が付いて回る。まるで呪いみたいだ。マリー・アントワネットの呪い。いまさらだけど、マリー・アントワネットというのは茜のあだ名だ。由来はもちろん、彼女の家がお金持ちだからだ。そんなことはどうでもいい。
 つまり、私が考えたのは、薫くんに関するいろいろな情報を得るということなのだ。それも、彼の友達を仲間に引き入れることで、だ。私が目をつけたのは、陣内幸之助(じんないこうのすけ)だった。注目したのは、幸之助は薫くんと中学が同じだということだった。彼ならば、薫くんの色々な情報を与えてくれることだろう。同じ中学の出身は他に菅原隆俊(かんばらたかとし)という一人お笑いコンビみたいな名前の男子がいたが、彼は口の軽いところがあるので、候補からは外したのだ。これは水面下の戦い。絶対に茜には知られてはいけない。絶対に負けられない戦いがある。
「薫の?」
 幸之助は怪訝そうな顔で私を見た。しかし、私の表情を察してか、含みのある微笑と共に「ああ」と頷いてくれた。すぐに疑問をぶつけてみる。
「薫くんって甘い物大丈夫なのかな?」
 薫くんがチョコを食べている場面を見たことがないし、男の人は甘い物が苦手だという話も聞く。ここで、バレンタインチョコを渡そうものなら、ありがた迷惑――最悪“迷惑迷惑”になりかねない。好みのリサーチは初歩中の初歩だよ、ワトソン君。
「ああ、あいつ甘い物好きだよ。よくチョコとか食ってる」
「そっか、今彼女とかいるのかな?」
 特定の女の子がいる素振りはなかったけれど、万が一ということもある。
「いないと思うけどね」
「『思う』? もしかしたらいるってこと?」
 思わず詰め寄った。
「篠田さん、顔が怖い」
「『怖い』じゃなくて、いるのかいないのか」
「いないよ、いない!」
「適当に答えてない?」
「適当に答えてる」
「ちょっとふざけないでよ」
「だから怖いよ。今度聞いてくるから勘弁して」
「じゃあ、薫くんの好みのタイプは?」
「好みのタイプ? なんだろうな、この前話していたのは、一緒にいて楽しい人とか言っていたかな。あと、知的な感じがする人」
 なるほど、これは勇利アルバチャコフ――もとい、有利だ。私はお笑いが好きだし楽しませる精神は持っているつもり。それに、今のところ、成績は学年トップ10以内をキープしている。まさに私のための条件といっても過言ではない。私の内心の囁きを聞きつけたのか、幸之助が非常に微妙な表情で立ち尽くしている……。なんだバカヤロー。
 まあ、とりあえずこれで薫くん情報担当大臣は決まった。多くを知る者が勝つのだ! 待ってろ、マリー・アントワネット!

 ……しかし、これだけではダメだ。幸之助情報はあくまで基礎的な情報であって、生きた情報はどうしても自分で手に入れなければならない。産業スパイも最後に頼りにできるのは、自分の足を使って得た情報だという。冷戦下において、スパイ活動が激化したのも同じ理由だ。この情報化社会の中で、今後はますます生きた情報は価値を上げていく。つまり、情報に価値の格差が(以下略)。
 薫くんは部活に所属していない。一方、私は平日に部活がないことなど稀である。生の情報を得るには自分の足を使うほかないが、今度の土曜に試合を控えるバスケ部副キャプテンの身ではさすがに不可能だ。自分の足を使うというのは、もちろんスカートを短くして足を……というエロス的なものじゃない。探偵的にいえば、尾行だ。放課後は学校を出るのが七時くらいになってしまうので、ここは幸之助に登場してもらう。彼を薫くんとくっつけておけば、茜も首を突っ込みづらいし、幸之助を通して私に情報が入る。まさに一石二鳥。唯一の懸念は薫くんと幸之助の間によからぬ愛情が芽生えてしまうことだが。
 もうひとつ、やはりどうしても知らなければならないことがあった。それは、一度は否定したものの、茜の状況だ。彼女がどのような戦略を持っているのかは、やはり知らずにはいられない。相手の先を読んで対処する。戦争の基本だ。
 休み時間、茜が何度も隆俊と話し込んでいるのを見かけるようになった。隆俊といえば、私が薫くん情報担当大臣候補から引きずり落とした男だ。その彼と茜が話し込んでいる。しかも、その視線は度々薫くんや私へと向けられる。……間違いない。マリー・アントワネットの野郎、奴を仲間に引き込んだか! おそらく、私が幸之助と同盟を組んだと知っての狼藉だ。となると、茜も私と同じように薫くんの情報を仕入れていることになる。これはおちおち考えを巡らせている場合ではない。迅速早急電光石火の行動が望まれる!

 土曜日の試合の翌日(試合結果はご想像にお任せする。あのクソ五番のいやらしい動きといったら……未だに腹が立つ)、私は幸之助に教えてもらった薫くんの家の住所を頼りに住宅街を進んでいた。大きなマンションの向かいが葛城家の一軒家だった。薫くんの家を見上げてようやく我に返った。
 ……これじゃ、危ない人だよ。
 それくらい、気持ちを抑えきれなかったのだ。二階建てのその家は、静かだけど妙に落ち着き払って佇んでいるように見えて、それが薫くんを彷彿とさせた。二階の正面に窓が二つ並んでいた。どちらもカーテンで中は望めない。
「なにをしてるんだろ、私」
 つい口を突いて出てしまった独り言。「好きな子の家を、ただ見に行く」と言ったお笑い芸人さんの言葉がよぎった。私は小学生の男子かよ。早々に立ち去ろう。私は自分を情けなく思って、天を仰ぎ溜息を吐き出そうとした――。
 絶句した。鳥の糞がマイマウスにホールインワン! というわけではない。そんなことになれば自刃したくなるに違いない。そうではないのだ。見上げたマンションのベランダの一つに、私から言葉を奪った存在があった。その人物はベランダの手すりに身を預けながら、顔を覆うほどの巨大な双眼鏡を薫くんの家に向けていたのだ。羨ましくもあり、たまに引き千切りたくなるほどの漆黒サラサラロングヘアーは風になびいて絹のように揺らめいていた。双眼鏡が顔の前から退いて、高慢な鼻梁の曲線が露わになった。まるでそこがヴェルサイユ宮殿のバルコニーで、今にも「パンがなければフランスから取り寄せればいいじゃない」とのたまいそうだった。そう、なにを隠そう、そこに鎮座しやがっていたのはあの遠坂茜だったのだ。私は慌てて茜の視界に入らないよう、マンションのエントランス付近に駆け込んだ。
 どういうことなのか、しばらくの間は状況がさっぱり掴めなかった。こうしている間にも、茜は文字通り高みから見下ろしているのだ。彼女の家は郊外の高級住宅街に、“ちょっとおどきなさい”ばりの広い庭を有しているはずだった。やっと真相に思い当った私は、あまりの怒りにマンションの支柱をへし折ってやろうかと思った。あの女、薫くんをマークするためだけに、このマンションの一室を借りたのに違いない……! 優雅にバードウォッチングかっつーの! 一度は立ち去ろうと考えていたが、そんなわけにはいかなくなった。茜に出し抜く暇など与えてはならないのだ。寒空の下、マフラーと手袋を持ってこなかったことを後悔した。
 のちに分かったことだが、この日、薫くんは家族で親類の何回忌だかで新潟に行っていた。

 休み明けの八日、私は疲労感でいっぱいだった。土曜日の試合の疲れじゃない。日曜日の引くに引けない張り込み(この後無駄だと分かる)の身体的、精神的過労が私には初めての種類のものだったのだ。このままではまずい。私はそう悟った。茜に対して攻撃を開始しなければ、やられるのはこちらだ。しかし、こちらにも策はある。茜は一人お笑いコンビ(隆俊)を仲間に引き入れている。この二人をあたかも恋人同士であるように私が演出し、薫くんにその印象を植え付ければいいのだ。そう、洗脳だ。薫くんを洗脳してやるのだ、ふははー。あれ? なんか違う。
 薫くんを見る。何やらみんなに笹で包まれたものを配って回っていた。
「これ、笹あめ。土日に家族で新潟に行ってきたんだ。あ、強烈に歯にくっつくから、絶対に噛まないでね」
 薫くんの爽やかな言葉に、私の日曜日は崩れ去った。

激震

 うちの高校は狙い澄ましたように二月十日に創立記念日がある。翌日は建国記念日なので、必然的に二連休だ。二年生はこの週に修学旅行で国外へ飛ぶことになっている。休みを前にして、私は幸之助の情報に耳を傾けて作戦を練ることにした。しかし、いきなりひっくり返りそうになってしまった。作戦を練ることにした初っ端から幸之助が爆弾を投げてよこしてきたのだ。
「薫のやつ、明日どこかに出かける予定らしいんだよな」
「え? どういうこと?」
「よく分からねえんだよ……」
 へらへらして後頭部をさすりながら目を逸らす幸之助。爆弾の時限装置を起動させておいて、えへっと笑うような狼藉だ。ぶん殴ってやりたかったが、教室の中では、薫くんの目が光っている――もとい、そんな暴力は好まないので我慢しておく。イライラしながら問い詰める。
「分からないって、なんでもっと突っ込んで聞かないの?」
「聞いたけどさ、そこははぐらかされるんだよな……。篠田さん、目が怖いよ」
「薫くん、何か隠してるのかな」
「分かんねえ」
 私のイライラ棒は今まさにお前の脳天をカチ割ろうとしてるぞ、幸之助。
「さっきから『分からない』ばっかり。男ならもっとはっきりしなさいよ」
 すると、戦意喪失の体で幸之助は抵抗を示してきた。
「男女平等ぉ~。女尊男卑の時代だぁ~」
「わけ分からないこと言ってないで、さっさと情報集めてくる!」
 私がびしっと号令をかけると、幸之助はまるでロボットのように駈け出した。ロボットのようにといっても、ASHIMOみたいにぎこちなくという意味ではない。充電も必要ない。いや、家に帰ったらもしかしたら充電してるかも……、とかそんなくだらないことまで考えなくていい。
 しかし、どういうことだろう……。薫くんが親友の幸之助にも明日の予定の詳細を明かさないなんて……。私の脳裏にはあるセリフが飛び交っていた。私が薫くんに彼女がいるのか問い詰めたときの「いないと思うけどね」といった幸之助の。薫くんには本当は彼女がいて、そのことを茶化されたくなくて秘密にしている? 最悪の仮説だ。それに、あの薫くんに限って茶化されることを恐れるなんて考えられない気がする。それに、男女の仲を冷やかすなんて中学生かよ! “もう高校生”だよ! やっぱり今の仮説はなし! でも、結局謎は残ったまま。
 こうなったら、明日……。
 私は強い意志と共に立ち上がった。茜の姿を探す。案の定、隆俊と密談中。私は早足で二人の許へ向って、大きく息を吸って攻撃を開始した。……私は焦っていた。
「茜ぇ、最近隆俊と仲いいねぇ~! 私も彼氏ほしいな~!」
 教室中に届くぐらいの声で言い放った。視線が私たちのところへ集まるのが感じられた。ふっひっひ、茜のやつ、目を丸くして私を見上げるだけだ――
「あら、勘違いよ! そんなことより、優衣こそ幸之助君とお似合いじゃない! おめでとう! 夢が叶ったじゃない!」
 と思ったら、言い返してきやがった! マリー・アントワネットは微かに鼻で私を笑い飛ばすとすたすたと教室を出て行ってしまった。悔しさが込み上げてきた。泣いて薫くんの胸に飛び込もうかしら!

 翌日、私は朝五時に目が覚めた。長い一日になりそうな予感がした。ベッドの上で今日の計画を練る。
 不信感を振り撒きながら幸之助が薫くんから入手した情報によれば、今日の薫くんのスケジュールは十時にHACHIじゃなくてハチ公前という何ともベタなシチュエーションから始まるらしい。よし、十時前からハチ公前で張り込みをしよう、というのは素人考えだ。甘い。チョコレートにガムシロップと餡子とカスタードクリームとカルピスの原液をまぶしたぐらい甘い。そんな暗黒物質見たことないけど。……うぇ。
 まあ、そんなわけで、私は少なくとも薫くんが家を出るであろう九時前頃には、彼の家の前で待機していようと考えたのだ。もしかしたら、待ち合わせの場所が変わってしまうかもしれない。薫くんの状況を逐一知っておく必要があるだろう。あ、ちなみに今日は部活があったのだけれど、ズル休みしました。笹本先輩ごめんなさい。
 しかし――
 突然「ワルキューレの騎行」が鳴り出した。私の携帯だ。この着信音は……茜だ! この戦いが始まった時、そう設定したのだ。厳しい戦いを生き抜くのだ! 勝利は我が手にあり! ジークジオン!
 というようなことを考えながら、着信を無視し続けたのだが、キルゴア中佐は急に止まれない。やかましい音は一向に鳴りやまなかった。っていうか、一体何時だと思ってるんだ。耳を塞ごうとしても、ダメだ。鳴り続ける着信音。なんだか、ヘリのローター音が聞こえてくるような気がした。携帯なんてなくなってしまえばいいと刹那的に思った。文明の利器なんていらん! 石器時代に戻せ!
 数秒後、我に返って鳴り続ける携帯のディスプレイを見る。やはり、茜だ。意を決して通話ボタンを押した。わざわざ休日にまで聞きたくない声がした。
『寝ていたの?』
「起こされたのよ」
 嘘をついておいた。
『これから時間ある?』
 人間って、信じられない情報が入ってくると自然と身構えてしまうみたい。この時の私は携帯片手に硬直していた。
『聞こえてるの?』
「時間、ないから。今日は忙しいの!」
 なぜこのタイミングなんだと思っていた。まるで見計ったような。電話を切ろうとすると、鼓膜をむんずと掴まれた。
『薫くんと遊びに行くのに、あなたを誘おうと思ったのにねえ』
 なんですって?! 薫くんと遊びに行く?!
 昨日、幸之助は言っていた。薫くんには今日、内密のアポがあるのだと。その相手が茜だった? ではなぜ薫くんはそのことを秘密にしていた? 相手がクラスメイトだから? そのことでからかわれるのが嫌だったから? 私と茜が争っているのを知っていて、だから茜の身を憂慮して……? つまり、薫くんの彼女が――
『ねえ、無視してんの?』
 いや、違う?! もし今の仮説が本当なら、なぜ茜が今電話をかけてきているのだ? 茜はこう言ったはずだ。薫くんと遊ぶのにあなたを誘った、と。デートに部外者である私を誘う理由はない。いやいや、まだ分からない。茜と薫くんが付き合っていて、私に絶望的な敗北を味わわせるために私を凌辱の白州に立たせようとしているのかもしれない。いやしかぁし! もしそんなことをするなら、薫くんも手を貸しているということになりはしないだろうか! いくらなんでもそれは考えられない。いや、待てよ。これが茜の独断によるものだとしたら? いやいや、その前にこの仮説は茜と薫くんが恋人同士だという前提から始まっている。もし、それが真実なら……私一人だけバカみたいじゃね? っていうか、私、完全に深みにはまってる気がするんですけど!
『来たくないなら、いいけどぉ』
 挑発的な声。どうする? どうする私? これは真実か? 罠か? もし真実なら、茜と薫くんは付き合っているかもしれない。しかし、付き合っていないかもしれない。真実にしろ罠にしろ薫くんに会える可能性は少なくともある。据え膳食わぬは男の恥というし。あれ、私って男? っていうか、そんな誘いだったっけ? ちょっと待って。薫くんに会えるなら、準備に時間が必要だ。ここは冷静にならないといけない。
「何時?」
『ああ、やっと話が通じた。死んだのかと思ったわ。時間は九時から。その様子だと来るみたいね。学校の校門前で待ち合わせだから。じゃあ』
 茜はまくしたてるように喋り終えると一方的に通話を切った。
 私はしばらくの間、茫然としていた。窓の外でスズメがぴーちくぱーちくやっている。いかん、いかん。家を出るのは八時四十分頃になる。あと一時間半しかない。急いで準備だ。絶対に負けられない戦いがある!

 いつもよりいい服を着て、喜び勇んで校門前へ。まだ誰も来ていない。約束の時間まであと五分といったところだろうか。ちょっと張り切りすぎた感じがして自分が恥ずかしくもある。いやいや、ここで薫くん登場となれば、数分でも二人きりの時間ができるじゃないか。
 そう思っていたのだが……。
「待たせたな!」
 往年の――もとい、現役でも活躍中の渡辺正行のようなセリフが響き渡った。
 校門を入るとそこはちょっとしたロータリーみたいになっていて、ど真ん中にバカでかい記念碑が建っている。そこには学校の理念を示した「臥薪嘗胆」の文字も見える。確か、この学校の卒業生である「名前無いの介」とかいう昔の偉い文豪だったか放蕩息子だったかが寄付したんだとかしないんだとか聞いたような気がしないでもない。そして今、そのありがたいかもしれない記念碑の上に危なっかしく立つ影があった。茜だった。そんなところで何してるの? というか、どうやって登った? 記念碑は二メートルくらいの高さがあるのだが、足がかりになりそうな出っ張りはないはずだった。
「とうっ! ――きゃっ!!」
 記念碑の上から仮面ライダーよろしく飛び降りる。ところが、見事に失敗。挫きかけた足を庇いながらゆっくりと立ち上がった。そして、意味不明の大胆不敵な笑み。金持ちのお嬢様だというのに、たまに無茶をするから敵ながらハラハラする。というか、そのロングスカートでなぜそのような冒険をしようと思い立ったのか全く分からない。
「なかなか気付かなかったわね」
 どうやら、気づかれるまで私の様子を記念碑の上から見守る気構えでいたようだ。それで痺れを切らしてリーダー気取りということか。……バカなの?
「のこのこやって来て、見事に騙されたってわけね!」
 びしっと私を指さす。
「なんですって?!」
 ここに至って、私は改めて実感した。こいつは……敵だ! そうだ、よく考えれば辻褄の合わないことばかりだ。薫くんは十時にHACHI公前で待ち合わせをしている予定だったのだ。今は……九時五分過ぎ。茜の下らない登場のくだりで数分消費したのか。しかし、今から行けば十時には間に合う。私は身を翻して駆け出そうとした。
「待ちなさいよ!」
 背後から鋭い声が私を捕らえに来た。さっさと走り去りたい気分だったが、私は足を止めた。騙されたことに恥ずかしさと怒りを覚えていた。茜の顔を見たくなかった。でも、茜の強い声は私の足を止めるだけの力があった……とか考えている私の内心をこのマリー・アントワネットは容易く無視した。私の前に立ちはだかると、
「これで、お引きなさい」
 そう言って茶封筒を差し出した。
「なにそれ」
 聞かなくても分かってる。私だってバカじゃありませんよ、読者の皆様。茜は金持ち。こんな時の金持ちの解決手段といえば、一つしかない。金だ。金を渡すから、薫くんは諦めろと、そう言っているのだ、この女は。なんて忌々しい!
「欲しいでしょ?」
 見下したような目で私を見る。そんな敵からの施しなんて、何があっても私は絶対欲しいです。その厚みからすると、お高いんでしょう?
「そんなもの、いらない!」
 私の口は真っ先に正義を貫いた。私は越後屋でも代官でもないのだ。
 いや、待てよ。ここで一旦お金はもらっておいて、結局諦めないって手もあるわね。
 ……でもちょっと待って。そんなことしたら契約不履行とか言って私を訴える気なのかもしれない。金持ちはそういうところ鋭そうだからな……!
「やっぱり、いらない、そんなもの!」
 ふんと顔を逸らす。それでも私の視界にわざとらしく顔を放り込んでくる。
「『やっぱり』って何? ね、ね、『やっぱり』って何よ? ホントは欲しいんでしょ?」
「いらんわそんなはした金!」
 私は茜を突き飛ばして駆け出した。さらば、最低女。さらば、はした金! 追って来たかったらいつでもどうぞ、はした金!
 侮辱に身を震わせながら、私はリチャード・ギア――じゃなくて、ハチ公前に急いだ。

 いつも思うのだけれど、渋谷は人が多すぎる。頭を白紙の状態にして考えてみよう。「渋谷」って名前はとても人気のある場所じゃなさそうではないか。それはともかく、半蔵門線の改札を抜け、東急百貨店を正面に地上へ這いあがる。ここは地下から顔を出しても息苦しさが拭えない。同時に怒涛のような喧騒。旧東横線の車両(青蛙と呼ばれていたらしい)の横に立ってHACHIを見る。やっぱりここは待ち合わせのメッカみたいなところで、今も周囲にはたくさんの人の姿が見える。たまに銅像と記念撮影する人もいる。さて、薫くんは……――いた。HAITI――もとい、ハチを取り囲むベンチの一画から離れていく彼の姿があった。ほうほう、ワインレッドのテーラードジャケットにライトグレイのジレ、白のシャツ、黒の細めのストール、ボトムはベージュのタイトなカーゴパンツ、ライトブラウンのセッターブーツ。黒のハットが決まってます。なんてお洒落なのかしら。思わず自分の身なりを確かめてしまう。しかし、私の意識は次の瞬間に吹っ飛びそうになった。薫くんの向こう側に寄り添うように小柄な女の姿があったのだ。白いニットキャップのてっぺんのボンボンが歩くたびにぴょんぴょん跳ねる。アイボリーのフード付きのダッフル、黒のサロペットとカットソーは白、ピンクのネックウォーマーがいいアクセントになっている。黒と白のスニーカーがピタリと止まった。交差点の信号待ちだ。女は一言でいえば妹系のルックスで、ちょっとイライラすることに……とてもかわいらしかった。二人は二つ三つ言葉を交わすと歩き始めた。非常に親しげに。私は人ごみに紛れつつ歩を進める。
 なんなのあの女! あの女が今日の薫くんの一日をさらっていくことになるのは間違いなさそうだった。なに腕組んで歩いてるのよ。そんなことより、あの女との約束があることを薫くんは秘密にしていた。それが問題だ。一体なぜ?
 尾行しつつ、私は幸之助に電話をかける。雑踏の中では話しづらい。自然を声を荒げてしまう。
『なに?』
「『なに?』じゃない! どういうこと?!」
『どういうこと?』
「『どういうこと?』じゃない! どういうこと?! ……って、ちょっと待って! これ終わらないやつじゃん! 無限ループじゃん! 単刀直入に聞くけど、あの女は誰なの?!」
 しばらく受話器の向こうでもぞもぞと音がする。今起きたのか?
『鉄人、食材が何もないので、調理できません。「あの女」って誰ですか?』
「寝ぼけてるんじゃないわよ。あの女と言えばあの女よ。妹系の――」
 そこまで口にして思い当った。そうだ、まだ可能性が一つある!
「薫くんに妹はいないの?」
『薫に妹ぉ? ……いないよ、そんなの』
「いない?! じゃあ、あの女は誰――」
 いつの間にか電話が切れてしまった。かけなおすが、電源を切られたようで繋がらない。役立たずめ。しかし、今は毒づいている暇はない。薫くんを追いかけねばならない。二人は人並みをかき分けるようにスクランブル交差点をQーFRONTへ向かう。その様子はまるで恋人同士。ああ、今自分が日本刀を持っていなくてよかった……。二人が繋いでいる腕(女の方だけ)を切り落としてしまいかねない。ビバ現代! 文明開化ナイス!
 TSUTAYAに入ると、フロアごとに棚を見て回る二人。私は「だるまさんが転んだ」ばりのアクションでしっかりとついていく。さすがに会話は聞こえない。
 これはデートだ。私は結論づけた。頭ではそう理解した。しかし、これで終わりではない。万が一ということもある。私は尾行を続けることにした。しかも、この尾行という探偵の化身みたいな行為に、私は半ば酔いしれていた。楽しいのだ。
 小一時間をTSUTAYAで過ごした二人はビルを出て、もうすぐお別れとなるさくらやの前を、そちらを見ることもせず通り過ぎた。そして今度はHMVへ。TSUTAYAで目当てのものが見つからなかったのだろうか?
 結局、HMVを出るときも二人の荷物に変わりはなかった。二人はそのまま西へ向かい、途中の「くれーぷ屋」で仲良くクレープを買った。私はすかさず念のためにと持参していた小型の双眼鏡で二人のメニューを確認する。この数十分で、私の面の皮は相当に厚くなったみたいだ。
 妹系はおそらくチョコバナナ。薫くんのクレープは青々としたレタスがはみ出ていた。二人が店を離れていくので、メニューを見てみる。薫くんが選んだのは生ハムレタスという新商品らしい。なるほど、薫くんは新しいものに目がないということか。私は頭の中の消しゴム――もとい、頭の中のメモ帳にしっかりとメモした。二人は歩きながらクレープを頬張る。なんてうらやましい光景かしら。ちなみに、私も生ハムレタスを頬張っている。まるで、クレープが薫くんのように感じられて、じっと見つめてしまった。ふと見ると、妹系が薫くんのクレープを指さし一口もらっている。お返しにと妹系も自分のチョコバナナを差し出すが、薫くんは苦笑いで遠慮していた。おや? 私の脳裏で論理が弾けた。
 好きな人の差し出したものは、無条件で受け取る。たぶん「だいたいあってる」この理論によれば、今の行為は重大な意味を持つ。妹系の差し出したクレープを受け取らないということは、相手の行為を無碍にしてしまうのと同義だ。あの薫くんがあえてそんなことをした……。もしかして、今日はあの妹系に無理矢理誘われたのではないだろうか。つまり、遊びに出かけはするけど、そこまでの仲じゃないぞということを今の一動作は物語っているのだ!!
 唐突に私の中に芽生えた希望はぐんぐん成長した。豆の木だ。ジャックは見あたらないが、天にも昇る気分だった。水を得た魚とはまさにこのことで、尾行の楽しさを知った私は茜との間の「薫くん争奪戦」の戦闘意欲を掻き立てられた。鬼に金棒だ……いや、美少女に全裸としておこう。
 その後、二人は近くのパスタ屋で昼食をとり(ちなみに私は近くのマックでテイクアウト。パスタ屋は狭かったので、店内に入ることはできなかったのだ。ちくしょー!)、数々の店を回り、数点の買い物をし、明治神宮までゆっくり歩いた。明治神宮に入り、ちょっと中を覗き込むと、二人はおもむろに来た道を引き返してきた! 運良くおばちゃんの団体に紛れてやり過ごす。どうやら加藤清正の井戸に行くつもりだったらしい。行列がひどくて諦めたのだろう。薫くんは携帯を開いて時間を確認しているようだった。井戸は午後四時まででそれ以降はたとえ一日並んでいたとしても閉まってしまうのだ。
 静寂から離れ、表参道方面へ向かう。ラフォーレ、表参道ヒルズ、キディランドなどを経由して表参道駅に着いた頃には日は落ちかけていた。ここで最悪なことになってしまった。表参道駅の改札へ入る二人の姿を人並みの中で見失ってしまったのだ。これは一生の不覚だった。このまま妹系の住処を突き止め、焼き討ちを――いやいや、それは冗談。しばらくの間、私はホームで突っ立ったまま今日一日の二人の行動を反芻していた。

 家に帰り、気がつけば疲労にまみれていた体をベッドに投げ込んだのは、もう夜の帳の下りた六時半過ぎだった。帰り道、薫くんの家の前を通ると、彼の自室と思しき部屋の窓は煌々と光を放っていた。寄り道しないで帰るなんてホントによい子だ。お母さんは嬉しい――誰がお母さんだ!
 しかし、あの妹系は本当にいったい何者だったのだろうか。と、考えをめぐらそうとした矢先だった――
 ワルキューレの騎行だ!
 携帯の振動と相まって私は思わず飛び上がってしまった。なんなの一体。なんで休日に二回も電話かけてくるの。なんで帰ってきたタイミングでかかってくるの。なんでうちの近所にはゴミ捨てに厳しい“ごみおばさん”がいるの。
「もしもしぃ……?」
 努めて“煩わしく思ってます感”を出してみる。しかし、予想の斜め上を行くのが茜だった。私の耳を貫いたのは、怒号だった。
『あんた一体÷<|¢▽▲÷£##‰≒≪≪∽っざヤετ≒‰♯!!』
「えっ、えっ、えっ?」
『くぁwせdrftgyふじこlp;@:「」!!』
「ふじこ?」
『やりやがったわね!!』
「急に通じた。で、何の話なの。私疲れてるんですけどぉ~。マジ、イライラするんですけど的な」
『ふ』
「ふじこ?」
『ふっざけんじゃないわよ!』
 そうとうトサカに来ているようだ。鼓膜は……大丈夫。破れてない。それにしても、いきなりどういう了見なのかしら。以下はやや落ち着きを取り戻した茜がようやく明らかにした事実だ。
『十四日の約束をとりつけたのね、卑怯者! 人でなし! ナシゴレン!』
「最後だけ変なの混ざったわよ。それで……、約束? 何の話よ、ふじこ?」
『あ・か・ね! とぼけるんじゃないわよ。分かってるのよ。私を出し抜いて薫くんをモノにしようなんて!』
 ずいぶん古臭い言い方だ。しかし、どういうことだ? 十四日の約束? 私はまだ何も知らない。ここは茜に喋らせることにしよう。沈黙を押し通す。
『薫くん言ってたわ。「十四日はもう約束が入っているんだ。ごめんね。僕は君のことが好きだけど、約束は約束だからね」ってね!』
「ちょい待てえぇ! 盛ったろ! 今何気に事実盛ったろ!!」
 十四日の約束が埋まってる?! 初耳だ。一体誰が……――。
 妹系か!
『とにかく! 今すぐ約束を取消しなさい! 卑怯者! 人でなし! ナシゴレン!』
「ナシゴレンでも食ってんのかよ! 卑怯はあんたでしょ! 私を騙したり、示談迫ろうとしたり……。大体私知ってるんだからね。薫くんの家の前のマンションに部屋借りて、そこでストーカーみたいに張り込みしてるってね!」
 息を飲む音がする。へへっ、言ってやった! もう一発いっとこうか。
「親の助けがないと何もできないの? あんたみたいなのがニートになったりすんのよ。ニートは穀潰しのことだってじいちゃんが言ってた!」
 私の“口撃”が効いたのか、受話器からは荒い呼吸が聞こえてくる。人によっては需要のありそうなダイヤルサービスだ。しばらくして茜は声を上げた。
『う』
「ふじこ?」
『ふじこから離れなさい! “う”るさい! とにかく、十四日の約束は取り消しなさい! もし取り消さなかったら、ひどいからね!』
「やーだよ。十四日は究極に楽しみますんで、篠田優衣先生の次回作にご期待ください」
 言い放って通話を切った。おまけに電源も落とす。これでよし、……じゃない。とっさに嘘をついてしまったけど、問題は妹系のことだ。あのアマ、一体何様のつもりなの!
 こうなったら、明日も薫くんをマークせねばなるまい。明日は部活も休みのはずだから、いきなりの高熱に悩まされることもない。
 帰宅以来、やっと息をつく時間が訪れた。ベッドの上で仰向けになって天井を見つめる。
 薫くん……今日は楽しそうだった。あれを難しい専門用語でデートと言うのだろうな。生まれて十六年、好きな子と付き合ったことはまだなかった。世間では、最近の若者の性は乱れているとかいうけれど、超純潔ですから。それが、高校に入って雷に打たれたのだ。そんなことになったら死んじゃうじゃないかって、そっちではない。薫くんだ。いわゆるビビビというセンスのない表現の、アレだ。なぜか、その気持ちを伝えようと思っても躊躇ってしまう。恐怖があった。尻込みするだけのオーラを、彼は持っていた。でも私は戦いたいんだ。チョコレート会社の陰謀なんていうけど、これがきっかけなんだ。愛のこもったチョコを作るんだ。失敗したら、なんて考えない。薫くんのことが好きなのは、紛れもない事実なんだから。
 ……ん?
 私の記憶が何かを訴えかけているのを感じていた。何か、違和感があった。今日一日の出来事を思い返す。しかし、分からなかった。違和感を覚えたのは今しがたのことだった。言葉が記憶を引きずり出し、そこに私の無意識が疑問を投げかけているということだ。ふじこ? いや、違う。十四日の約束? 無意識どころかバリバリに疑問を投げまくっている。いや、ふざけるのはやめましょう。私にはもう見当が付いている。ヒントは甘い物。古畑任三郎でした。

解明

 今日のデート中、妹系が差し出したチョコバナナクレープを薫くんは苦笑いで遠慮した。甘い物好きのはずの、彼が、だ。そもそも、クレープを頼むときに甘い物を頼まなかったのも、今思えばおかしなことだった。甘い物好き。この情報は誰からもたらされたのか。幸之助だ。最悪な事態を想像せざるを得なかった。携帯の電源を入れて、速攻で幸之助を呼び出す。……話し中だ。生意気なことに話し中だ。一人前に話し中だ。数分待ってから再びかけなおす。
『なに?』
「『なに?』じゃない。先生お話があります」
『なに?』
「あんた語彙の少ないお喋りロボットなの? 私怒ってるんだけど、なぜだか分かる?」
『お袋みたいなこと言わないでくれよ』
「黙りなさい。あんた、私に嘘の情報を教えてたでしょ」
 数秒の沈黙。
『な、何の話だよぉ……』
「あんた、嘘つけないタイプでしょ。“沈黙”と“どもり”と“不審な語尾”で見事に三拍子揃ってるわよ」
『知らないね。記憶にございません。私は秘書にすべてを任せていただけです』
 政治家かよ。しかし、これは吐きそうにない。こうなれば、奥の手だ。声を震わせて、時折鼻を啜りながら言う。
「あんただって……好きな人くらい、いるでしょ。グスッ。好きな人の、グスッ、ことをいっぱい……グスッ、知りたいっていう気持ち、グスタフッ、分かるでしょ? そこで嘘をつかれた、グスッ、私の……私の気持ちはどうなるの、グスタフ?」
『ちょ、ちょっと、泣くなよ。っていうか、誰だよ、グスタフって……』
「いいよ、もう……。信じていたのに……」
 あとは泣く振りを存分に聞かせてやればいい。女の子の涙は、使いようによっては確かに最強の武器なのだ。しかし、ホントに涙が出てきた。
『わ、分かった、分かったよ。でも、これは遠坂さんには内緒にしろよ? 俺、遠坂さんがライブのチケットを肩代わりしてくれるって言うんで、つい……』
「つい?」
『嘘を教えるようにって。で、篠田さんのことも報告するようにって……ごめん』
 そういうことだったのか! なにが卑怯者、人でなし、ナシゴレンだ! おかわりしてろ!
「はい、お前死刑ね」
『え、まさか、お主、……は、謀りおったな!』
「騙される方が悪い。ふざけんな! 人の気持ち、なんだと思ってるのよ!」
『悪かったよ……。でも、さ、ほら、正直に話したんだから、遠坂さんには、内緒な。念書を書かされたんだよ。「裏切ったら、代金は全額負担します。指も詰めます。一生下僕です」ってさ……。プレミア席だからとてもじゃないけど、払えないんだよぉ』
 あとの二つはどうでもいいのか、幸之助よ。一番ダメなやつ残ってるぞ。
「どうしようかしら……」
『じゃ、じゃあ、とっておきの情報だ。こいつはマジでヤバい。篠田さん、今日薫のこと尾行したんだろ?』
「人聞きが悪いわね」
『薫は女と会ってた。僕もお怒りの問い合わせを頂いたからね。実は遠坂さんは、今日のことを掴んでいた。その上で、薫を野放しにしていた。なぜか分かるか?』
 いきなりそんなことを言われても。しかし、もし今日のことを知っていたのなら、確かに黙っているのはおかしい。しかも、茜は今日の朝、私を騙して金の力を見せつけようとした。あれはなんだったの?
『あれは、薫の妹なんだよ。紡(つむぎ)という名前の』
 ……なんですって! 妹系、じゃなくてホントに妹だったのぉ?!
「ちょっと待って。あんた、薫くんに妹はいないって――」
『悪い。それ嘘。遠坂さんに口止めされてた。十時にハチ公前ってのも嘘』
「なんということ……」
 二人はハチ公前で待ち合わせしていたんじゃなくて、ちょうど二人が渋谷の交差点前にやってきたところに私が出くわしただけだったのだ。
『遠坂さんは、篠田さんが薫を尾行するって確信してた。そうなると、もしかしたら薫の家から張り込むかもしれない』
 実際そのつもりだった。
『それを防ごうとして、遠坂さんは篠田さんをあの時間に呼び出したんだよ。薫の家から妹と二人で出てくるところを見られたら、一発でバレるからね』
「どうしてそんなことを……」
『薫に彼女がいるって知れば、篠田さんが諦めると思ったんだよ』
 薫くんの家の前のマンションに部屋を取っていた茜なら、薫くんに妹がいるということにはすぐに気付くはず。それを武器にしたのか。情報は命。自らの肝に銘じたことが私に深く突き刺さった。とんだお笑いだ。
『ここまで教えたんだから、遠坂さんには内緒にしといてくれよ』
「分かったわよ……。わざわざ……ありがと。薫くん情報担当大臣は解任ね」
『何言ってんだ? まあ、いいや。……元気出せよ。じゃあな』
 我ながら情けない。今までの戦い、すべて茜の手の上で踊っていたのか。
 でも、希望は広がった。あれは薫くんの彼女などではなかった。薫くんの妹、紡ちゃんだったのだ。

 就寝前、私は疲れ切っていた。なんだか、あまりにも多くのことが起こったように思える。裏切りと嘘。尾行。ドラマティックではあるけど、願い下げだ。明日はどうしようか――
 キラリン!
 思いついたSEではない。メールの着信音だ。携帯を開いてディスプレイを見る。まどろんでいた私の瞼はこじ開けられた。メールの差出人は薫くんだったのだ!

件名;
遅くにごめん

本文;
明日のお昼すぎ、西佐久公園で会えないかな?

瓦解

 約束までは時間があったので、超特急でチョコを作った。愛情もちゃんと入れた。出来上がったチョコを可愛い箱に入れて、手紙も入れてリボンで縛った。私自身にリボンを巻いて、「はい」というシナリオも構想したが、痛すぎるのでやめておいた。というか、貧相な私の体では似合わなすぎる。
 準備万端整った頃にはもう家を出る時間だった。自転車に乗り、一目散に公園へ。私の心は躍っていた!
 昨日、あのメールが来た瞬間、天に昇った私の気持ちは即座にメールを返した。返事はもちろん、OKだ。
 西佐久公園は木々の生い茂る市民の憩いの場で、町中にありながらも喧騒から切り離されている。自転車置き場に慌て気味に愛車エカテリーナを停め置く。ちなみに、名前はたった今思いついた。それくらいテンションが上がっていた。両手は寒さのせいではなく、震えていた。薫くんの顔を思い返しては、にやにや笑う私は変態みたいに映ったかもしれないが、幸い人の姿はなかった。待ち合わせの場所は噴水広場だった。まだ薫くんは来ていない。ドキドキしながら待つことにしよう――その時だった。
「な、なによ、あんた!」
 聞き慣れた声がした。見ると、近くのベンチの上に仁王立ちした茜の姿。
 なんでえぇ?! また騙された? いや、あれは薫くんからのメールだった! じゃあ、なんで茜がここに? なにやら、装飾の施された小さな箱を背中に隠している。……私と同じ?
「高い所が見当たらなかったから、ベンチで妥協してしまったじゃない!」
 言いながらベンチから飛び降りる。さすがに、記念碑からのダイブと比べると迫力がない。っていうか、なぜ高い所に登る必要があるのよ? いやいや、そうじゃない。なんだ、この状況。龍と虎が対峙する、みたいな。もちろん龍は私。
 疑問を口にしようとした瞬間、私たちの意識をすべて掻っ攫う声が高らかに響いた。
「みなさん、お集まりですね」
 透き通った声。その少女は、凛とした歩調で私たちの前に姿を現した。私と茜の声がユニゾンを奏でた。
「「紡ちゃん?!」」
 一瞬お互いを睨みつけたが、混乱する頭が視線を彼女に固定させた。紡ちゃんは春の日差しみたいな笑みを浮かべた。
「名前をご存じだったんですね。ありがとうございます」
 しかし、すぐに険しい表情を私たちに向けた。
「警告します。これ以上、薫に手を出さないで」
 ……は? 思いつく言葉も失念した。
「昨日、薫の携帯を使ってメールを出したのは私です。薫が困っていたから。二人が勝手な争いをしていることに、ね」
 どういうこと? 茜は飲み込みが早いと見えて、すぐに優しげな声をかけた。
「お兄さん思いなのね。でも大丈夫よ。私とお兄さんとは深い愛で結ばれて――」
「ちょおっと待ちなさい! 盛るな、盛るな!」
「なによ、うるさいわね。薫くんは、私にメールをくれたのよ」
「私にメールをくれたのよ!」
 茜の髪を引っ張る。向こうも負けじと顔面を掴みにかかってくる。なによ、こいつ!
 ぱんぱんっ!
 私たちの聖戦をあっさりと終わらせたのは紡ちゃんの掌だった。
「さっき、言いましたよね。あのメールは私が送った、って」
「「ええええええええっ!!」」
「分かりました。お二人ともあくまでボケたいってことですね。じゃあ、笑えないようにしてあげます。私の正体を教えてあげましょう」
「え?」いきなり何を言い出すのかしら、この子。「正体って、まさか――」
「そう」
「宇宙人的な」
「違うっ!」
 頬を紅潮させての見事な突っ込み。イケメンの妹は可愛いのね。
「私のことを薫の妹だと聞いているんですよね、二人とも。それは嘘よ。私は、薫の恋人。妹なんかじゃない! だから警告する! 薫から離れなさい!」
 あ、ありのまま今起こったことを話すぜ。『気が付いたら口を開け放していた』。何を言っているのか分からねーと思うが、人間ってのはホントに驚いた時にはそうなるんだぜ。
「は、はは……ご、御冗談を」
 茜の頬を冷や汗が伝う。
「冗談でこんなこと言わないわ」
 紡ちゃん(もはや誰なのよ)は自信満々で口を開いた。
「そ、そんな……嘘でしょ?」
「ちょっと待って、茜。あなた、薫くんの家を張っていて、見たんじゃないの? 薫くんとこの子が兄妹だってことを?」
 茜は震えながら私を見た。そして首を振った。
「実際に目で見たことはない。でも、この子が薫くんの妹だってことは、隆俊から……」
 口元に手を押しあてて、茜は息を大きく呑み込んだ。
「私は幸之助ごほごほっ!」
 危ない。寸でのところで思いとどまった。これは言っちゃだめな約束だった。って、ちょっと待って(待たせてばっかりね、私って)。幸之助によれば、薫くんに妹はいなかった。そしてこの情報は茜、隆俊、幸之助、私が共有していた。今の話では、この情報の醤油――もとい、ソースは欧米かっ――もとい、隆俊だ。その隆俊の情報が間違っていた……のか? 妹がいるorいないに間違うなんてあるか? まさか……。
「二人とも気がついたみたいですね。隆俊くんにも幸之助くんにもあたしがお願いしたんです。二人には嘘の情報を教えるようにって。あたしの予想通り二人で潰し合ってくれて……。でも、もう茶番も終わり。薫に近づかないで」
 そ、そんな最後ってある? 私頑張ったのに……。私も茜も、この女の掌で踊らされていただけだったのだ。

 紡は慇懃な一礼を残して去って行った。私はその場に釘づけにされたように身動き一つ、声一つ出すことができなかった。なんも言えねえとはまさにこのことだ。
 私たちは取り残された。悔しさもあったが、恥ずかしさもあった。思わず苦笑いした。茜も今まで背中に隠していた箱を力なく私に見せた。
「無駄になっちゃったわよ……。これ、特注で数万はするのよ」
「……すごいね」
「あなたのそれは、手作り?」
「そう、だけど」
 数万と手作りか。自分のチョコを隠したくなった。
「羨ましい。私、料理も何もできないから……」
 茜の弱気なんて初めて見たような気がする。急に今まで自分のしたことが申し訳なくなってしまった。
「あの、ね」
 もう、茜と戦う理由なんてないんだ。
「昨日は、ひどいこと言っちゃって、ごめんね」
「いいよ。私も気が付いたら両親に頼ってばかりだったなって思ったもの。昨日の優衣の言葉を聞いて、思わずハッとしたわ」
「ハッとしてグーってなったの?」
「古いわよ。でも、その通りだって思った。今回だってね……」
 茜は恥ずかしそうに笑みをこぼした。なんか、可愛いな、こいつ。
「なに?」
「言葉は魔法っていうでしょう。 “葛城薫を恋人に!”っていう思いで横断幕に『KKK!』って書いたのを部屋の壁に貼っておいたんだ。そしたら次の日に家族会議になって……、顔面蒼白な両親に事情を全部説明したの。それからは両親が率先して私をサポートしてくれたのよ。そんな団体がいるなんて私知らなかったわ」
「危ない娘だなあ~」
 笑いが漏れた。なんだか、肩の荷が下りたみたいに体がすっと軽くなった。きっと、本当は茜と仲良くしたかったんだ。
「ねえ」右手を差し出した。「仲直り」
 茜はきょとんとした顔をしたが、優しい笑顔で左手を差し出してきた。
「私、左利きなの」
「あははっ、覚えとくよ」
 茜の手は温かかった。

虚像

 あたしの胸の鼓動は早鐘を打つように鳴っていた。努めて冷静に足を進めた。公園を出たところで、ついに緊張の糸が切れた。
「はあ~あ……」
 こんな長い溜息、人生で初めてだ。でも、これも薫のためなんだから。
 今回は長い戦いだった。隆俊さんにも幸之助さんにも悪いことをしてしまった。色々とあたしのお願いを聞いてくれた。本当に申し訳なく思う。
 それでも、あたしはやらなければならなかった。すべては、薫のため。これはあたしの宿命みたいなもの。
 バレンタインデー症候群というものがある。チョコレート中の成分の急激な摂取によって人体に影響を与えるというものだ。薫は人がいいから、もらったものを無理してでも食べてしまうのだ。そのせいで、倒れ、病院に運び込まれたことがあった。それ以来、薫は甘い物が苦手になった。治そうと思って事あるごとに甘い物を食べさせようとするが、首が縦に振られることはなかった。
 薫が女性関係で被害を受けたこともあった。昔からモテたから言い寄ってくる女は多かった。薫も男だから、その中に好きな子ができた。その子を選んだと女たちが知った時、薫にとっても、その子にとっても、誰にとっても最悪なことが起こった。薫が選んだ子は、女たちの標的にされ、薫自身にも女たちの攻撃が集中した。二人の関係が長く持つはずもなく、薫は女性不信に陥りかけたし、その子は登校拒否になった。
 だから、薫は女性を狂わせ、それは不幸を呼ぶことになる。それは、薫を奈落の底に落とすことになるし、それはあってはならないのだ。
 だから、あたしは、薫の恋人だという――
 嘘をついた。

姦計

 無知は命取りになる。情報戦において勝者は常に知る者になる。知る者こそが君臨することになるのだ。わたしの目から見ても、優衣と茜が薫くんを巡って争っているのは分かった。クラス中の、いや、学校中の話題になっていたのだ。そのゴシップを知らなかったのは当人たちだけだったのだろう。
 ある時だった、薫くんの妹と名乗る子が私を訪ねてきた。紡という名の彼女は、私に探りを入れてきたようだった。
「お兄ちゃん、何かトラブルに巻き込まれていませんか?」
 聞けば、薫くんは女性関係で過去にいろいろなことがあったらしい。紡から相談を受けた時、わたしはまだ薫くんのことを意識していなかったと思う。今となっては、正確に思い出すことはできないけれど。兄思いの妹に恵まれて幸せな人だなと思ったくらいだった。でも、紡の話を聞くうちに、薫くんのことを気にし始める自分がいた。はじめは、紡の思いを大切にしようと正義感から薫くんに“悪い虫”がつかないように見ていただけだったのだ。
 でも、いつからだろう。その正義感が次第に形を変え始めたのは。気がつけば、薫くんを見ていた。遠い存在だと思っていた。それほどまでに、わたしにとっては眩しかったのだ。一挙手一投足、すべての言動、滲み出るセンス。そうしたすべてがわたしの心の中に花を咲かせていったのだ。わたしには初めての経験だった。男はみんなバカでどうしようもないものだと、思い込んでいた。でも、彼だけは違っていたのかもしれない。頭も切れ、ユーモアがあり、少年っぽさも持っている。わたしは葛城薫という人間に、そして男に惹かれていた。
 その反面、彼を思えば思うほど近づきがたくなっていった。遠目から彼を見る毎日。簡単に彼と言葉を交わす女たちを軽んじていた。でも、その日、薫くんはわたしの視線に気づき微笑んでくれた。わたしの気持ちを知ってか知らずか、よく話しかけてくれるようになった。すべてはその尊ぶべき優しさからだったのかもしれない。
 彼が欲しい。
 人には断ち切れない欲がある。わたしは強欲にまみれていた。どうにかして彼を……。気がつけばC組で過ごす一年は終わりを迎えようとしていた。
 優衣と茜。
 その二人を薫くんから遠ざけようとする紡。
 紡は薫くんに近づくすべての女に牙を剥く。わたしは猫を被ったまま、気配を殺しながら、たった一つのチャンスを待ちかまえていた。きっと、優衣と茜の争いが激化すれば、紡の意識はそちらへ傾注するはずだ。そこが、わたしの見出した活路だった。
 二月十日、紡はわたしに嬉しそうに報告した。薫くんの彼女の振りをして渋谷に出かけるのだという。紡は隆俊くんが茜から聞いた話をわたしにした。
「優衣は絶対にお兄ちゃんを尾行する」
 当然、優衣の動向を気にしている茜の意識もそちらに向くだろう。
 わたしは乾坤一擲の手を打った。薫くんにメールを送ったのだ。恥ずかしいけれど、愛の言葉だ。メールで愛の告白をなんて、現代的な、なんて思うかもしれない。でも、わたしにはそれしか手がなかったのだ。薫くんなら、わたしからのメールがあっても紡に悟られないようにしてくれるだろう。そう信じた。すぐに返ってきたメールを見て、わたしは満たされた気持ちがした。のちに聞いた話では、ちょうどわたしからのメールが来たときに加藤清正の井戸の近くにいたらしい。未知のパワーなど信じていなかったが、もしかすると本当にあるのかもしれない。
 すぐに、十四日の約束を取り付けた。わたしは幸せ者だった。
 明日はその十四日。聖ヴァレンティヌスもまさか自分の命日が、恋人たちの素晴らしい日となるなんて思っていなかったに違いない。今この状況を見たらなんて言うだろうか。いや、言葉をなくしてただ苦笑するだけかもしれない。わたしのような謀略家が幸せを手にするような世の中だ。
 あの日のメールを見返す。人生が変わったような、そんな気がした。

件名;
ありがとう

本文;
嬉しいよ。
僕も好きだよ。
姫野さんもそう思ってくれてたんだね。




■作者からのメッセージ ■
はい、お疲れさまでした。
電ミスバレンタインプチ競作参加作品です。
まあ、前菜としてはいいんじゃないでしょうかね、こんなもんで。

壮絶だったかどうか分からない女たちの戦い、いかがでしたでしょうか?
ふざけすぎの感はありますが、そこはごめんなさい。
いまさらですけどね。
分からないネタがあったりしたら、そこはごめんなさい。
いまさらですけどね。

お褒めの言葉やお褒めの言葉、お褒めの言葉などお待ちしております。
あ、ちなみに……
この作品はフィクションです。実在する人物・団体・バレンタインデーなどとは一切関係ありません。
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